私と兄と、家族のミライ

私と兄と、家族のミライ

藤沢市立湘南台中学校三年

富永桜生(はるき)

 私には寝たきりの兄がいます。生活の全てに介助が必要で「医療的ケア」があります。「医療的ケア」とは、医師や看護師等が行う「医療行為」と同じ事を家族が行う事を指します。兄には、お腹の「胃ろう」からの水分・食事の注入、気管切開をしている部分からの「痰の吸引」、夜眠る時の「酸素吸入」等のケアがあります。

 今は両親が健康なので、兄は在宅で暮らしていて、平日はデイサービスに通っています。あと、訪問入浴や往診、訪問看護師等の支えを受けながら日々を送る事ができています。

 ところが、もし急に母が倒れたり、亡くなったりした場合、残念なことに市内で兄を受け入れてもらえる公立の施設がありません。預かってもらう事を「入所」と言うのですが、入所しても家族は面会や着替えの交換等があるので、入所先が遠いと、父の休日は一日それで終わることになり、家族の負担が大きいです。もし将来兄が入所生活になっても、私は面会に行きたいので遠くに行ってしまうのは残念です。兄本人も、急に知らない街に行くことになったら不安で自分らしさを無くしてしまいそうです。

 将来に向けて、という意味もあり、母は地域の当事者の父母の会で役員を務め、会報の原稿を書いたりと、生活の合い間を縫って活動をしています。父母の会では、「医療的ケア」のある人が、どんな時も地域で安心して過ごせるように医療と福祉が連携した「多機能型療養介護施設」の設置という要望を市に出し、市役所の方達と話し合う取り組みを続けています。保育園とは違い、市が単独で作る事は難しいそうです。県の方針では近隣の市や町と一緒に取り組む扱いで、かつ隣の市や町からは要望がないので計画の予定もないという状態が十年以上続いています。その間に小学生だった私の兄は成人し、友人数名は亡くなりました。

 私の家の話になりますが、父は働きながら介護福祉士と看護師の資格を取り、兄の人生を全力でサポートしています。母は小柄な体で自分よりも大きな兄を日々全力でケアし、さらに私や父を支えてくれています。両親の奮闘を見て思うのは、日々のケアや仕事に忙し過ぎて、考えを深めまとめる時間が無い為に「要望」を出せない方が沢山いるのでは?という事です。隣の市や町の当事者家族でも、本当は困っていて不安でも意見を行政に出せていないと、兄の訪問ナースさんからも聞きました。「困っていない」のではなく「言えていない」だけなのが現実だと思います。

 大好きで、安心して長く住んでいた街からある日突然出ていかなくてはならないとしたら?親が亡くなったショックも抱えたまま・・・。これは災害と同じではありませんか?私にとっては立派な人権問題です。

 助かる赤ちゃんの命が増え、最近ようやく「医療的ケア児」という言葉が聞かれるようになりました。そこから一歩踏み込むと、やがて「児」は「者」になります。そして「者」の人生の方が実は長くて、途中で本人も親も年を取り病気になったり、親は亡くなります。

 それでも長く暮らした自分の街で最期まで暮らしていけるという安心が、重いケアのある人と家族にとって「人生の支え」になっていくのではないでしょうか。これは、私も皆さんも含めて、誰でも他人事では無いと思います。誰でも、いつ、どこで重い障がいや「医療的ケア」を負う事になるのかは誰にも分りません。誰しも「医療的ケア」がある状態になる可能性があるのに、たったそれだけの事で、あなたがいきなり今住んでいる所から有無を言わさずに出て行く事になるとしたら?

 この作文を通して「私の家の話」を知ってもらう事が、兄たち「医療的ケア」のある人達への人権の尊重につながるのだと思い、気持ちを込めて筆を執りました。市だけで難しければ、例えば県や看護学部のある慶応大学湘南藤沢キャンパスと連携して、学内に施設を設置して、看護実習を受け入れたり、施設での様々なデータを長く分析できたり、ゼミと地域課題に取り組みやさしい街を作っていけるのでは・・・等々、言いたい放題大きな夢を語りながら、父や母、兄と夕食の時間を過ごす事が、私の何よりの宝物です。地域にやさしさがあれば、5年前の「やまゆり園の悲劇」は防げる、私達の姿を見てもらう事には力(パワー)があります。

 兄はちょうど、パラリンピックの開幕日に二十歳の誕生日を迎えました。兄と私達家族、そしてどんなに重い「医療的ケア」のある人でも、最期までハッピーに暮らせる、どんな人の人権にもやさしい街に、私の大好きな藤沢が、育ってくれますように!

 この声が、行政や医療、福祉、そして全ての地域の皆さんへ、届きますように!

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